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次世代の会

真宗大谷派金沢教区第11組

次世代の会 第二回学習会報告書

次世代の会 第二回学習会報告書

 

13:30 開会のあいさつ:会長 

13:30 勤行:同朋奉讃 調声:次世代の会メンバー

       御御明(おみあかし)を集める

13:50 講話:佐野明弘師 途中休憩 15:20まで

15:30 座談会(30分) 2組に分かれる

16:00 閉会:恩徳讃

真宗聖典を佐野さんから12冊かりてかしだした。赤本を50冊程度準備した。

「従属から帰命へ」200円、「迷いに帰る」500円、「親鸞ルネサンス」1500円販売

「さよなら親鸞会」講述:瓜生崇 配布

 

第二回学習会テーマ「御遠忌とはなにか」サブテーマ―前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後(のち)に生まれん者(ひと)は前(さき)を訪(とぶら)え―

 

会場:内日角 誓海寺

参加者19名

 

座談会Aグループ一部報告

・何べん聞いても難しかった

・お坊さんたちと一緒に勉強するのがはじめてで、先生の話を聞いてノートに書いている姿を自分も真似た、参加できてよかった。

・自分はいままで寺をやることを避けていたが、以前聞いた佐野さんのお話の中で、農家の方が、「私は真宗門徒だからと神棚を下したけれども、五穀豊穣を願う気持ちがずっとある」と話しておられたことがずっと気になっている。

 今自分が寺をやっていることも、自分では気づかない消えない願いがあったのだろうか。

・なぜ御遠忌をするのだろう、なにをあきらかにしていかねばならないのか。

・金沢教区がオリンピックイヤーの2020年に御遠忌をすること、知らない。知っている。巡回布教に、西田幾多郎記念館に聞きに行った。

・今日、お話にあった、「苦⇔楽」にどっぷりつかっているので、その生き方が違うと言われても、はっきりしなかった。

 従属ということもそうだろうけれども、

 どんなあり方が帰命かということをこれから聞いていきたい

・自分は(なにか失って辛いなどの生きることができないような)過酷な状況になったことがないので、自分の生活を振り返るようなことがなかったかもしれない。

・地域の小学校の挨拶運動に参加したことがあったが、「挨拶は大事だからやろう」と、声を掛けて、挨拶をしている自分に、無視されることがあると、自分のウソ臭さが見透かされるような気がした。挨拶運動をしながら自分探しをしているような思いがあって当時は心が折れたりしたが、なかなか面白い経験ではあった。

・5・6年前は、小中学生に対して知らない人に声を掛けられても無視をするようにという指導が行われていたが、今は、草むしりをしている時に、小中学生に声を掛けられることがあってとてもうれしい。自分は、ボランティアで挨拶運動をすすめるという立場とは違って、(声を掛けてもらう)受ける一方なので、とてもうれしい。

・ラーメンを食べに行ったが、寺の友人が食前に手をあわせるので、手をあわせていない自分が知らされた。家(寺)では、食前に手をあわせているのに、外食する時は、人の目を気にしてわざと手を合わせないようにしている。これも、普段自分のやっていることがウソ臭いと思う。

・ちいさい子どもがいて、(お寺)家では、食前の言葉を言っているが、外食をしている時も、食前の言葉を大きな声でいうので恥ずかしくて困った。(いいねぇ、さすがお寺さんの子やねぇ。)これも、普段自分のやっていることがウソ臭いと思う。

 

次は4/22だけれども、問題にしていってほしいことはありますか。

また、なにか疑問に思っておられることはありますか

 

・単純なことだけれども、「鐘をつくしきたりは以前からあったのか」知りたい。除夜の鐘を、若い人は、うるさいからやめてほしいという声がある。土日は鐘をつかない。うちの寺は先代の時からずっと朝夜ついているけれども、みなさんのところはどうか。お勤めが始まる30分ほど前につく(太鼓をたたく)、火事の時早鐘を撞く、3年前にお寺のお葬式があったが、出棺の時に4つ突く

・以前、佐野先生のお話を七尾教務所で聞いた、「おじいちゃんに、生まれる前に仏さまの国にいたんだよ。」と聞かせられた話や、レテ、想起、に感激したので今回も参加した。

・佐野さんはぶれていないですね

・御遠忌ということをもっと全面的に言葉にしてお話をいただけるのかと思っていた。

・帰命ということを聞いていきたい。

 

第二回次世代の会学習会 座談会Bグループ一部報告

・せっかく座談会の時間を取るならしっかりテーマ・方向性を決めて話したほうが有意義である。

門徒さんと話したかった→Bグループは僧侶だけだったので門徒さんも分けるべきだったか

・生き方に悩む中でこういう話を聞いて、どういうふうに家族と共有していったらいいのかわからない。

・六道輪廻の中を彷徨っているという自覚がそもそもあったのか。

・世間で言われる救いは楽のほうに振り切っていくことのように感じる。だから真宗の教えはわかりにくい。

・理屈としてはわかるがそれに反発する自分もいる。

・仏の世界から照らし出されたところに凡夫であることを受け止めるというが、やっぱり疲れる。自分を頂くというのは難しい。

・信心がないからお寺に足が向かないという人がいる。(言い訳?一般論?)しかし信心があるとかないとかは、どうでもいいことであるとも言えるのではないか。子どもは手を合わせるときに信心なんてない。

 

                               以 上

 

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